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音楽でバリアを打ち壊せ! とっておきの音楽祭

障害のある人もない人も一緒に音楽を楽しみ、音楽のチカラで「心のバリアフリー」を目指すストリート音楽祭。
合言葉は「みんなちがって みんないい」。
第14回となる2014年の仙台では、出演団体数324、ステージ数30、延べ観客動員数20万人以上と、バリアフリーをコンセプトとした音楽祭としては日本最大規模を誇る。
2001年に仙台市で始まり、熊本市、鹿児島市、大阪枚方市、山形市、福島市、東松島市など全国十数か所でも、市民ボランティアの実行委員会主催で開催されている。
「平成18年度バリアフリー化推進功労者 内閣府特命担当大臣表彰」「第3回イベント大賞」の大賞と社会貢献部門賞などを受賞。
仙台では毎年6月第1日曜日開催。

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開催延期か中止か

開催延期か中止か

2011年3月11日は、出演エントリー締切の日だった。仙台市内にある事務局も実行委員も被災した
市民ボランティアで構成する実行委員会では、 エントリーした団体に、安否確認と音楽祭開催の是非を問うアンケートを行う。
その日のうちに続々と回答が押し寄せる。
団体・バンドの多くが被災していた。
こんなとき時だからこそ、とっておきの音楽祭がある」「音楽で力になりたい」「みんなが待っているはずだ」。
その言葉に背中を押されるようにして開催を決定。
各地のイベント中止、自粛ムード、復旧の混乱の中、準備が始まる。
延期か中止か、規模縮小か、ストリートステージは確保できるのか、資金は集まるのか。
苦難の日々が続くが、会場となる商店街の協力、各地からの支援で、ようやく第11回を開催する。
出演団体数286、ステージ数30、演奏者数約3000人、延べ観客数24万人と、震災後、東北初のビックイベントとなった。

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ガレキの中には すでに希望があった

ガレキの中には すでに希望があった

楽器カホンのバンドメンバーである聴覚に障害のある老人は、震災翌日に兄夫婦が住む南三陸へ向かった。そこで彼が見た故郷は・・・。
シンガーソングライターのあんべ光俊はふるさと釜石の仲間たちを訪ね、悲報を聞く。
津波に奪われた彼のためにも音楽祭に出演したいと涙ながらに語るメンバー。
ガレキの中に自分のベースギターをを見つけたミュージシャンの決意とは。
あんべは、原発から20キロ圏内の街へと向かった。誰もいない街で、あんべと再会した知的障害者通所施設長はふるさとへの思い、
離ればなれになった仲間たちと、とっておきの音楽祭で再会したいと訴えた。
ある家へと案内され出会った人物に、あんべは希望を見いだす。

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あの日から86日目の音楽祭

あの日から86日目の音楽祭

思い切り声を出して歌いたい。祭りが恋しい。そのみんなが、音楽の力を信じ、とっておきの音楽祭を待ち望んだ。
2011年6月5日、宮城県仙台市・・・そこには笑顔があった。
障害のある人たちの歌が心にしみる。それはなぜか。心のこわばりが溶け、みんなのエネルギーが弾ける。
さらに大きなうねりとなり、震災というバリアも超えようとする感動のクライマックスをむかえる。
ガレキの街に、エールソング「オハイエ」の大合唱がいつまでも響き渡っていた。

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物語を紡ぐ楽曲・歌

この映画には30曲の楽曲が登場し、その曲、その歌詞ひとつひとつに意味、思いが込められて構成されている。

物語を紡ぐ楽曲・歌

主題歌 『オハイエ』   作詞・作曲 あんべ光俊

とっておきの音楽祭のテーマソング「オハイエ」は、「オハヨー」と「イエー」を組み合わせた元気印。
全編にちりばめられた「オハイエ」は不思議な輝きを放ち、あなたに心にいつまでも響くに違いない。

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